『 雨宿り 』



全国大会に向けての四校合同合宿も順調にメニューを消化して、明日の朝には解散を迎える。
そんな中、美穂子は一人、旅館から続く道を歩いていた。


「福路さん!ちょ!待って待って〜」


美穂子は背後から駆けてくる足音と、呼ばれた自分の名前に足を止め振り返る。
するとそこには、笑顔で肩で大きく息を吐いている清澄の部長がいた。


「……上……竹井さん……」


つい“上埜”と、旧姓で呼び掛けそうになって、慌てて直す。

そんなに走ってまで自分の所に来るなんて、何か問題でもあったのだろうか。
美穂子は眉を曇らせながら久に問いかける。


「どうしました?何か急用ですか?」
「どうしたも何も」


そんな不安げな美穂子の様子に、久は右手をパタパタ上下に扇いで見せて、やーねぇ、なんて苦笑を浮かべていた。
久は時々こうして高校生らしからぬ仕草をすることがある。


「さっきあなたがお財布持って抜け出すの、見つけたから」
「……」
「どうせ夜の打ち上げの分、買い足しにいくつもりなんでしょ」
「……もう少しお菓子とか飲み物とかあった方がいいかな、と思いまして」


最後の夜はきっと賑やかになるだろう。
主催側である久の方で多少は用意していたが、やはり女子高生総勢二十人には心許ない量だったかもしれない。


「幹事としてちょっと読みが甘かったかなぁ。しくったか」
「そんなこと。私の勝手な判断です。足りないよりは余るくらいの方が、ね。余ったら皆で分けて持ち帰ればいいだけだし」
「だったら、声、かけてよね。ジュースなんか一人じゃ重くて持ちきれないわよ?」
「大丈夫、腕力には自信あるんです。シーツ干すのって意外に力がいるんですよ」
「は?シーツ??……ま、いっか」
さ、行きましょ。


久が美穂子の背中をポン、と軽く叩いて促すと。
美穂子は丁寧にお礼の言葉を述べてから、久の隣に並ぶ。



合宿を行っている旅館があるこの辺りは、とても自然が豊富で、裏を返せば生活には少々難がある。
コンビニなんて便利なモノは望めそうもなく、買い出しが出来るお店まではそれなりの距離を歩かなければならない。


「……それでね、知ってる?イカには心臓が三つもあるらしいわよ?」
「えー、本当ですか、それ」


久の豆知識の披露に、美穂子は口元に手を当ててクスクスと笑う。
部内で後輩からは"キャプテン"と慕われてはいるけれど、同い年の友達と呼べる人間がほとんどいない美穂子は、未だに久との会話に慣れない。

……それが久の存在が美穂子にとって『単なる友人』だけではないという理由が含まれている事も、ちゃんと自覚出来ている。

初対面でもないのに緊張の色を隠せない美穂子に気を遣っているのか、生来人見知りしない性格だからか、久が上手に会話をリードすると、程なく美穂子からも肩の力が抜けたリアクションが返ってくるようになった。

その矢先。


「あ、福路さん福路さん」
「はい?」
「ちょっと、こっち」


グイ。

会話を遮るように名前を呼ばれた美穂子は、突然、久に肘のあたりを掴まれて引き寄せられた。


「え?!あ、あのっ上埜さん??」
いきなり何を……。


バランスを崩して久に抱きつく体勢になり、焦りから思わずまた旧姓で呼んでしまった直後。
二人の横を一日に数えるほどの本数の路線バスが通り過ぎてゆく。


「あ……」
「ごめんなさいね。何か福路さん、バスに気づいてなかったみたいだから」


久は美穂子の体から手を離して遠ざかるバスの背を見送る。


「いえ、私の方こそ注意力散漫ですね……ありがとうございます」


バスの接近に気付かないほど話に夢中になってしまっていたなんて。

久に失態を見せてしまった恥ずかしさに、自然と顔に熱が集まって隠すように俯いた。


「いや〜、あなただけじゃなかったみたいよ、注意力散漫。……ホラ」


久の声のトーンが苦笑に変わって、その言葉と同時に空に向けられた人差し指。
美穂子もつれて空を見上げた。


「……わっ、降りそう」
「いつの間にか雲行きが怪しくなってたわー」


夏の風物詩とも言える夕立を連想させる曇天。
旅館を出るときにはそれほどでもなかったから、買い物の往復くらいは大丈夫だと思っていたけれど。


「さっさと済ませますか」
「そうですね」


頷き合ってやや早足で歩き始めたのも束の間。

ポタ……ポタ……。
一つ、二つ、と大きめの粒が二人の足元の色を濃くしていく。


「あちゃ〜、言ってるそばから……」
「竹井さん、走りましょう!」
「ぅわ!ちょっと!」


今度は美穂子が久の手首を掴んで、徐々に雨足を強くする中走り出す。
急な事に久は驚いて目を丸くしていたけれど、その手を振りほどくことはせずに。

    しかし、手を振りほどくことはしない代わりに、その手を握ってくれることもない。

美穂子は走りながら、今の自分と久の関係が実に良く表れている、と心の中で苦笑した。



完全な濡れ鼠が二人分出来上がってしまう前に、運よく道路わきに雨を凌げそうな場所が見つかり、急いで駆けこんで暫くお互い無言で息を整えてから。


「はぁー、助かったわー。ナイス、バス停!」
「でも、結構濡れちゃいましたね」
「そうねぇ。ま、夏だし、すぐ乾くんじゃない?」


前髪から落ちる滴を拭ったり、制服の水滴を払ったりしているこの場所は、なかなか年季の入ったバスの停留所。
『ベンチ』という呼び名がとてもお洒落に感じてしまうような長椅子が一つ置いてあるだけだ。


「……どう、します?」
「どうって……あなたは雨の中、傘もささずに歩きまわる趣味でもあるのかしら?」
「ないです!けど、あまり帰るのが遅くなってもマズイでしょう?」
「ふむ」


美穂子の気がかりに久は両手を腰に当てて顔を斜めに上げる。
そして、キョロキョロと視線を左右に動かしてから、美穂子へと向き直りにっこり微笑んだ。


「大丈夫よ」
「え?なぜ?」
「何となく?」
「…………」


疑問形に疑問形で返されてしまい、美穂子はそれ以上言葉が出てこない。

久はそのまま椅子に腰を下ろして、自分の隣を平手でペチペチ叩いて美穂子を座るよう促し。
それに従って、久から30cmほど離れた場所に腰かけた。

その距離は、二人で会話を交わすのに不自然な程は遠からず、且つ、緊張してしまい会話が成り立たないほど近からず、だ。


「竹井さんって、意外に適と……お、大らかなんですね」
「あははは。良く言われるわ」


久はひとしきり笑うと、組んだ足に肘を乗せ頬杖をついて視線は遠くの空へ向けた。



  




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