no title
一日の仕事を終え、帰り支度をする前に習慣になっている最後のメールチェックをしていたら。
以前機動六課で部下だったティアナからメールが届いているのに気付いた。
件名は『私用です』という簡潔なもの。
中身を開くとこれまた簡潔に。
『フェイトさんのことでほんの少し気になることがあります。時間のあるときに連絡ください』
用件のみのメールが彼女らしい。
これがパートナーだったスバルなら、きっと色々と世間話的なことも書いてきたんじゃないかな。
じゃなくて。
……フェイトちゃんのこと……?
かつてティアナの上司だったフェイトちゃん。
今は逆にティアナの後輩になり新米執務官として忙しい日々を送っている。
しかし、ちょうど先日ミッドに戻ってきて、しばらくは長期の航行はないとのこと。
私とフェイトちゃんとヴィヴィオの三人で過ごす幸せな毎日を私は満喫しているところだ。
家に帰ったら本人もいるし、話し辛くなるかもしれない。
「…………大丈夫、かな」
周囲を見回して私用で回線を利用しても、特に問題がなさそうなことを確認してからティアナに連絡をとった。
『あ、なのはさん。わざわざすいません』
「ううん。ティアナの方こそ忙しいのにごめんね」
フェイトちゃんが二度目の執務官になるまで、そして、なってからも。
ティアナには度々お世話になっているので、元教え子といえど私の方が頭が上がらないのだけれど、私の言葉にティアナは逆に恐縮してしまった。
「えーと、それで、気になる事って?」
『ああ、その……そんなに大したことじゃないかもしれないんですけど……』
まるで私に連絡したことを後悔してるかのように、自信なさ気に頬を掻くティアナを、些細なことでも構わない、と促す。
…………あの時だって“些細なこと”だと色々見逃して。
たくさんの後悔をしなくちゃいけなかったのだから。
私の頭をもう何年も前の、フェイトちゃんが記憶を失くした時の事が掠める。
特に、一緒に組んでいなくとも同じ執務官のティアナからの情報は無視出来るものじゃない。
『最近、昔からの知り合いに以前の自分の事、聞いてまわってるみたいなんです』
「……以前って……記憶を失くす前ってこと?」
『はい。私も聞かれましたし……シャーリーさんも聞かれたみたいです』
「…………」
私は口元に手を当てて考える。
おかしい。
それを知りたいのだったら、ティアナやシャーリーに聞くより、まず私やヴィヴィオに聞くよね、普通。
ヴィヴィオには確認してないけれど、私はフェイトちゃんにそんな事、質問されていなかった。
それを裏付けるように。
『それで、その話の終わりに、なのはさんには内緒で、と言われまして。フェイトさんには申し訳ないんですけど』
でも、以前の事もありますし……。
フェイトちゃんに何か異変があったとしたら大事だと思い、約束を破って私に報告してくれたみたい。
フェイトちゃんと交わした会話の内容を大まかに話してもらうと。
特に何を聞きたい、というわけではなく、性格や振る舞いに始まり、その他出来ごとなど本当に何でも良いから、という感じだったらしい。
「そんなこと知って……どうするのかな」
『さぁ。私も聞いたんですけど、興味があるだけで深い意味はない、ということでした』
「ふぅん……私もちょっと様子に気を付けてみるね」
『お願いします』
「ありがとう、心配してくれて」
お礼のあと、いつもごめんね、と続けようとしたら。
『なのはさんに謝られると、逆に落ち着きません』
ティアナに先に釘をさされてしまった。
…………大分、言うようになったじゃない。
苦笑しつつティアナとの通信を終え、端末のスイッチを落とそうとする指を直前で止める。
昔からの知り合い……か。ふむ。
私はそのままなじみ深いナンバーをタッチして、待つこと数秒。
『はいはーい。なのはちゃん、どないしたん?』
「あ、ちょっと私用なんだけど……今いいかな?」
はやてちゃんとは最近、直接会う時間はとれないけれど、付き合いも長いので特にお互い改まった挨拶もなく。
『ええよー』
「フェイトちゃんのことなんだけど」
私が挙げた名前に、はやてちゃんはほんの一瞬だけ表情を硬くした。
やっぱり、はやてちゃんも。
「はやてちゃんもフェイトちゃんに昔の事聞かれたよね?」
『…………うん、まぁ』
断定的な問いかけに、隠すことは諦めたのか、歯切れが悪いながらも素直に肯定する。
そして、語られる内容はティアナの話とさして違いがあるものではなかった。
『フェイトちゃん、理由は言わんかったけど、様子からしてそんなに思いつめたような感じではなかったし、マイナスなイメージは受けんかったから』
本人の希望を尊重してなのはちゃんには言わんでおったんやけど。
多少居心地悪そうなはやてちゃんを私が責められるはずもなく。
だって、もうフェイトちゃんは仕事もこなし独りでちゃんと立っている。
はやてちゃんが私に報告する義務もなければ、彼女の事を全部把握しておこうなんて思うのは、私のエゴでしかない。
「ごめんね、約束破らせちゃって」
『あー、フェイトちゃんにはあたしがばらした事、内緒にしとって』
顔の前で右手を拝むように立て、片目を瞑っての頼みごとに、もちろん、と即答を返す。
……とは言ったものの。
「フェイトちゃん、授業で習った移動魔法がね……」
「うん?ああ、その時はね」
食後のリビングで学校のテキストを広げながら、ヴィヴィオの質問に答えるフェイトちゃんは。
本当に、いつもと何ら変わった所など見られなくて、どう切り出したものか悩ましい。
それよりも、丁寧に優しく教えているフェイトちゃんを見て、昔の彼女の姿がダブり、私は懐かしさに目を細めた。
前のあなたもよく、そうやってヴィヴィオに色々教えてあげていたよね。
すると、テキストをめくっていたフェイトちゃんがふいに顔をあげ、私と視線が交わる。
そして、ほんの数秒私の顔を見つめた後、何を言うでもなく可愛らしい笑顔を浮かべてから、再びテキストへと視線を落とした。
え……と……。なんだろう、今の。
その答えは、ヴィヴィオが寝るためにリビングからいなくなってから判明する。
「なのは、何か私に話ある?さっきからずっと見てるでしょ」
「え?!……あー……ん、と……」
あらら、すっかりバレてたってことか。
こうなってしまうと、さり気なくとか遠まわしにとか、もう無理。
私、苦手なの、そーゆーの。……ごめん、ティアナ、はやてちゃん。
「 ああ、そのこと。なのはには内緒にってお願いしたんだけどなぁ」
恥ずかしそうに頬を染めて呟くフェイトちゃんは、確かにはやてちゃんの言うとおり、危うい感じはしない。
「あ、別に告げ口とかそういう意味じゃなくて、フェイトちゃんのことを心配して……」
「うん、大丈夫。怒ってるわけじゃないし。……ただちょっと、ね」
恥ずかしいからなのはには内緒にして欲しかったの。
その返答を聞いて、自分の心配が杞憂に終わったことにホッと胸を撫でおろす。
これなら何か体や記憶に異変があったというような大事ではないだろう。
フェイトちゃんはソファーに深く凭れ直し、先を続けた。
「私、ようやく執務官になって、なのはと恋人になって、形だけは昔の私に追い付いたかな、って思うんだ」
「…………」
「でもね、さっきヴィヴィオに勉強教えてるときもそうだったんだけど」
「さっき?」
「うん。なのは、時々、すごく懐かしそうに私のこと見るから」
「!?」
その言葉に、私は息を呑む。
もしかして、私、知らないうちにフェイトちゃんのこと、傷つけてた?!
「ご、ごめっ!そうじゃないの、全然そうじゃなくて。昔と今のフェイトちゃんを比べたりしてるわけじゃないし、ちゃんと私、今のフェイトちゃんを見て、今のフェイトちゃんが大好きで、もちろん昔のフェイトちゃんも大好きなんだけど、フェイトちゃんはフェイトちゃんだから」
えーと、えーと、えーと。
焦ってもう何を言いたいのか良く分からなくなった私を、当のフェイトちゃんは何だかキョトンとした表情で見ていて。
「フェイトちゃん??」
「ああ、そっか。違うよ。確かに前は気にしたこともあったけど、今はもう平気」
そして、膝の上に力を込めて握ったままの私の左手に自分の左手をそっと添えた。
そこには室内の照明を白く反射する二つの銀のリングがある。
「ほら、私もだんだん艦で過ごす時間が長くなってきたでしょ?」
フェイトちゃんは、まだ半年、一年なんて長期の航行には出ないけれど、仕事を覚えるに比例して家を空ける時間は長くなっている。
「オフの時とか独りですることないし、ベッドに横になってボーっとコレ眺めてたりしてね」
私の手に添えた左手を顔の高さに掲げて、左手の薬指を少し前後に動かしてみせた。
その動きに違う角度で照明が当たり、銀のリングがキラキラと瞬く。
「もちろん最初は、なのはに逢いたいな、とかそんなことが頭に浮かぶんだけど、それから“コレを買った私”が気になって」
「指輪を買ったフェイトちゃん?」
「うん。自分が買って渡せなかったものを、なのはと“新しい私”がお揃いで着けてる。それってどうなのかな、とか」
「でも、どっちも“同じフェイトちゃん”だよ」
今度は私が左手で掲げたフェイトちゃんの左手を握って自分の胸へと寄せた。
「そんな顔しないで、なのは。本当にそんな深い意味があるわけじゃないんだ。単なる興味と……」
フェイトちゃんは言い淀んで視線を斜め下へと逸らす。
ほんのり頬が赤いのは気のせいじゃないと思う。
「なのはがあんな風な瞳で見る前の私を知ることで、もっと好きになってもらえるかな、なんて」
ちょっとした下心です、ごめんなさい。
最後の方はゴニョゴニョと小さい声で謝罪されて。
ようやく私の顔にも笑みが戻る。
「あのね、フェイトちゃん。私、もうこれ以上は無理!っていうくらい、昔も今も、フェイトちゃんが好きなんだよ?」
だから、もっと、なんて考える必要ないし、逆にそうなったらなったで、通常の生活に支障をきたしてしまいそう。
私の言葉に更に頬を赤く染めて、ありがとう、と今度は礼をくれた。
「周りの人に、昔の私の事を訊いたときね」
「うん」
「色々教えてもらったんだけど、皆、必ず最後にさっきのなのはと同じ事言うの。『違うように見える所はあっても、やっぱり私は私だ』って」
本当に全員だよ?すごいよね、それって。
フェイトちゃんは思い出しているのかクスクスと右手を口元に当て笑っている。
「それなら考えることも同じかなと思って、私が“昔の私”だったらどう感じるか考えたの。私は……」
そこで一旦言葉を切ったフェイトちゃんは、私に握られていた左手を嫌味にならないよう静かに外し。
私はその続きを聞くのが少し怖くて、でも、聞きたくて、無言のまま。
「……自分で買ったお揃いの指輪、もちろん自分の手でなのはに渡したかったし、ずっと、ずっとそばにいたかった。消えたくない、って、なのはに逢えなくなるのが怖い、って、苦しくて悲しくて泣いた」
「……フェイト……ちゃん」
フェイトちゃんの過去形での語りに、まるで本当に記憶を失くす前の彼女が私の前にいるような錯覚に捉われ狼狽する。
そんな私の様子に気づいて、フェイトちゃんは優しく私の体に腕を回した。
「そんな想いが、私の体や心のどこかに残ってるのかもね。だから、なのはのこと、好きって思う気持ち以上に」
「…………」
「とっても大切で、絶対守ってあげよう、って思う。それが、今、指輪を嵌めてなのはを抱きしめてる私の一番大事なこと」
前の私の分まで、ね。
記憶を失くす前の彼女と今の彼女。
同じフェイトちゃんだと理解するのとは別に、各々と考える私がいることは確か。
もちろん、愛情に差があるわけではないけれど。
ただこの時、感じたのは。
二人のフェイトちゃんに同時に抱きしめられているような不思議な感覚。
あ、フェイトちゃんだ ……。
私の胸に幸せがこみ上げる。
「……フェイトちゃん……私の……フェイト……ちゃん……」
「…………うん、なのは」
何が起ころうとも。
何が変わろうとも。
私はフェイトちゃんと共にある。
それだけでいい。
ただ、それだけ。
完
その節は、本家作者さん、番外編の人さん、ご迷惑おかけしました&お世話になりました〜。