『 一番の人 』




ようやく夏の殺人的な暑さが一段落を見せる九月初旬    


「ほーい、美穂子ー。こっちこっち!」


ザワザワと大勢の人でごった返す大手予備校の玄関口で、先に待ち合わせ場所に着いていた清澄高校の麻雀部の部長、竹井久が私に向けて大きく手を振っていた。


「すいません、お待たせしました」
「いや、全然待ってないってば。テストの終了時刻一緒なんだから」


そんなに待つわけないでしょ、と続く久さんの言葉を全部聞き終えないうちに、私は人の流れに流されそうになって、危うい所を久さんに救出される。


「っとと!ボーっとしてると連れてかれちゃうわよ〜」
「は、はい。ありがとうございます」
「あ、でも、どっちかっていうと、邪魔なのは立ち止まってる私たちよね。私たちも行きましょうか」
「そうですね」


久さんに促され、私たち二人も人の流れに混ざり込む。
この流れは恐らく最寄りの駅に向かってのものであり、私たちの目的地もまたその場所だった。

波に逆らわず歩くのは楽でいい。


「それにしても、この方たち皆、受験生なんですね……」
「他人事みたいに言ってるけど、私たちもその中の一人よ?」
「それは……もう今日一日嫌って言う程実感しました」
「……同感ね。一日で五教科七科目って死んで下さいって言われてるのかと思ったわ。最後の方なんかもうあんまり記憶ない……」


げっそりと呟く久さんに同意して大きく頷くと、二人同時に申し合わせたかのごとく暮れゆく空を仰ぎ溜息を吐いて。
お互いの行動に気づいて私たちは顔を見合わせて笑う。


「はぁ〜、青春を謳歌した分、これからは現実と向き合いますかねぇ」
「フフッ、がんばりましょうね」


高校三年生である私たちはこの夏最後のインターハイで団体戦、個人戦でそれぞれ全国へ駒を進め、充実した夏休みを過ごせたのだけど。

それが終わってしまえば、一介の受験生である事実のみが残る。

今日も偶然、大手予備校で行われる模試を受けに来たら久さんと出会って、終了後待ち合わせをしたのだ。


「私、てっきり美穂子は推薦で大学行くんだと思ってたわ。名門風越のキャプテンでしかも個人戦の成績も抜群なんだから、良い話なんてたくさんあったんじゃない?」
「たくさん……ってほどではありませんが、いくつかお話は頂きました。でも、私、最初から推薦で進学するつもりはなかったから」
「へー、じゃあ、付属の短大は?入試だってないようなものでしょ、もったいない」
「うちの学校の事はもちろん好きだけど……風越にこだわりはないんです。他に勉強したいことがあるので」


高校を風越に決めたのは、麻雀の名門校に入りたかったからじゃない。
……名門と言われる風越に入れば、久さん、あなたに再会出来ると思ったから。

ふ〜ん、なんて相槌を打つ彼女は、それ以上踏み込んで来ることはなく。

当り前か、久さんにとって私がどこに進学しようとそこまで興味はないだろう。


「それを言うならあなたも」
「私?」
「無名だった清澄を率いて全国に名を知らしめた部長さんですよ?色々お声が掛ったんじゃ」
「あはは。買い被りすぎだって。それに私、昔から国公立第一志望だしね〜。私立の学費なんか馬鹿馬鹿しくて払ってらんないっつーのっ」
「はぁ」


力説する久さんに私はちょっとだけ腰が引けてしまった。


「じゃあ、もし落ちた時の滑り止めは受けないんですか?」
「……美穂子、結構嫌な事言うわね」
「ご、ごめんなさい」
「受けるけど。浪人だってお金がかかるのよ、意外に」


久さんは、眉間に皺を寄せ渋い表情で人差し指を左右に振ってみせる。

……確かにそうだ。
私も麻雀での推薦を断ってまで一般入試を選んだ事に、両親からはまったく反対されなかった。
だからこそ、少しでも迷惑をかけないよう国立を志望しているわけで。


「あーもう、何か辛気臭い話題になっちゃった」
「ごめ」
「ストップ。そうやってすぐ謝るのも辛気臭くて、私は好きじゃないわ。ね?」


片目を瞑って見せた久さんは、決して責めているわけではなく、人付き合いがあまり得意ではない私についてしまった謝り癖に対して気を遣ってくれているだけ。

けれど『好きじゃない』という彼女の口から出た言葉に私の心は過敏に反応し、思わず顔を伏せた。


「ねぇ、まだ時間に余裕ある?」
「え?」


久さんが立ち止まったのをきっかけに、私も足を止めて顔を上げる。

するといつの間にかそこは駅前で。
私は左手首の腕時計で時間を確認すると、寮の門限まで多少時間があった。


「……一時間くらいなら」
「充分!お腹空いちゃったから、夕飯食べて帰りたいんだけど、付き合ってくれないかなぁ」
「ええ、いいですよ」


私が笑顔で承諾すると、久さんも嬉しそうに笑う。

笑うとちょっと子供っぽくなるところ、可愛いいと思う。
しっかりしている中に茶目っけをみせたり、飄々として捉えどころがなかったり……この人は私にはない魅力に溢れている。

夕飯を済ませてから帰ることを久さんが家に携帯で連絡を入れているを見て、私も鞄から携帯電話を取りだした。


「…………」


まだほとんど使った事のない……というか、使う自信のない真新しい携帯電話。
後輩の華菜と一緒に初心者でも分かりやすい機種を買いにいって、大体の使い方も華菜に教えて貰ったけれど、ついでだから、と部員とか親しい人のデータまで入れてくれた。

    ただ一つ、携帯電話を持つきっかけになった彼女のメールアドレスと電話番号を除いて。

寮の夕飯は自由だけれど、遅いと心配かけてもいけないし、一応私も華菜に連絡しておこうかな。
もたつきながらも、一つずつ手順をゆっくり思い出して私は華菜へ送るメールを作成する。


「……は、ん、は、食……べ……と、あ!違った、て……」


文字を打ちながらつい声に出してしまうクセはまだ治らなくて。
華菜に、お年寄りじゃないのだから、と少々呆れられている。


「で、送信……と」
「あら、なんだ。美穂子、携帯買ったんだ?」
「ぅあっ、はい!こ、この間……」


物珍しそうに私の携帯を覗き込む久さんの顔がとても近くて、私の鼓動は一気に跳ね上がった。

合宿中や全国大会で共に時間を過ごして少しわかったこと。
久さんは誰に対しても気さくに振舞い、こうやって他人の懐に平然と飛び込んで来る人。
……けれど、相手にそうだと気付かせないよう巧みに、自分の本心には他人を近づけない人。


「水臭いなぁ、メールくれたらいいのに。あ!前に教えておいた連絡先、失くしちゃった?」
「失くすなんてそんな!でも、いきなり大した用もないのにメールされても」
迷惑かな、なんて……。


携帯を買ってきたその日の夜、一人でこっそりと四苦八苦しながらも自力で登録した久さんの連絡先。
何度もその宛先を開いて、数行入力しては消して、を繰り返した。

結局、一言も送る事は出来ずじまい。


「あーっと、ごめん、ごめん。そんなに申し訳ない顔されちゃうとは思わなかったわ。……それより、お店どこでもいい?」


夕飯のお店の選択は久さんに任せた。
友人と外食する機会がない私は気の利いたお店なんか思いつくわけがない。

しかし、腕を組んで暫く考えた末、彼女が選んだお店というのも。


「あんまり時間があるわけじゃないし……偶にはジャンクフードでもどうかしら?」


すぐ目の前にあった某全国チェーンのファストフード店を指さして、私の顔色を窺う。
その少々自信なさ気な表情が新鮮で、悪いとは思いつつ頬が緩んだ。


「私、普段あまりこういうお店利用しないから、嬉しいかも」
「なら、良かった」
じゃあ、決定!


慣れた調子でサッサと入店する久さんの後を、私も慌ててついていく。
カウンターにて勝手が分からずまごついてしまったけれど、手助けをしてもらってようやく注文を終えて、向かい合わせの席に着いた。



  




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