『  罰当たりな私たち  』 





大きく吐いた白い息が広がって周りの空気に馴染むように消えていく。
約束の時刻より少々早く着きすぎてしまった。
慣れない履物のせいで余計に時間がかかるかもしれないから、と早めに出てきたのだけれど余裕を持ちすぎたみたいだ。

こうやって彼女と待ち合わせした回数は、さほど多くはない。
待たせてしまったり、こうして待ったり。

その都度私は、相手の顔を見るまで言いようのない不安に苛まれた。


「……大丈夫。ちゃんと来るわ」
もう突然いなくなったりしないから。


そう口に出してみても胸苦しさは消えなくて。
もちろん私も、待ち合わせの相手が誰彼構わずこんな気分になるわけじゃない。

    
彼女だから。

インターミドルで彼女が棄権したと知った後、もしやと思って空き時間全てを使って会場を捜し歩いた。

再会を願って選んだ風越の入学式では、クラス分け名簿で自分の名前ではなく彼女の名前を真っ先に探した。

一年生の初めての県予選でも、個人、団体すべての出場者の名前をチェックした。

……そうして一度は諦めた。


私は左手首の腕時計で時間を確認して、約束の時間が来た事を知ると雑踏へ視線をやった。
普段はそこまで参拝客の多くないこの神社も、お正月ともなれば話は別だ。
行き交う人々に片目を凝らしていると程なく目的の人物を発見した。


「あ…………れ?」


鮮やかな赤のダウンジャケットのポケットに両手を入れたまま、私の待ち人  竹井久は右手を軽く挙げた私を華麗にスルー。
視線を右に左に忙しなく動かしている。

もしかして……私の事探してる?

こちらに歩いてくる彼女と確かに視線が合った気がして、私に気づいてくれたと思ったのに。
そういえば、インターハイ予選で再会した時も、思い出してもらうのに時間がかかった。

私ってあなたの中で相当存在感薄いのかしら……。

数メートル先の手を伸ばせばすぐ届きそうな距離で立ち止まった彼女の背中に、そっと溜息を吐く。
そして、軽くポン、と合図すると共に名前を呼んだ。


「久……」
「あ、美……ほ……」


振り向いた彼女は私の姿を目にした途端、目を丸くして一瞬言葉を失って。


「まっ……まさかの晴れ着っ?!」
「……そんな驚かなくても」


これが私と彼女の記念すべき今年の初会話。
私は思わず苦笑い。


「いや〜、すっかり意表突かれたわ。振袖だなんて思ってなかったから全然気付かなかった」
ふ〜ん、へぇ〜、ほぉ〜。


彼女はアゴ下に手を当てて、私の周りを一周しながら頭の先から足の先まで物珍しげにジロジロと眺めている。


「あんまり見ないで。流石に恥ずかしいから」
「なーに言ってんの。素敵よ、すっごい似合ってる!」
「…………」


単なるお世辞だと分かっていても、そんな事を言われてニッコリ笑顔でありがとう、なんて返せる余裕があるはずもない。


「あっ、明けましてっ、おめでとう……ございます。今年もよろしくお願いします」
「え?!……あ、そっか。挨拶まだだったわね」


私は火照った顔を隠そうと、わざと深めにお辞儀をしてみせる。
動揺した為にかなり唐突になってしまった新年の挨拶も、彼女は笑顔で受け止めてくれて。


「明けましておめでとう。こちらこそヨロシク」
「はい」


それをきっかけに私たちは境内に向けて歩き始めた。




この神社は私の実家のある地区ではそこそこ名の知れた場所で、特に学業を謳っている事から、この地域の受験生の多くはここの神社のお守りを持って試験に臨んでいると思われる。
かくいう私も高校受験の時お世話になった一人だ。
なので参拝客も家族連れなどより、私たちくらいの年頃の人たちが多くなるのは必然で、周囲はやや騒がしく時々はしゃいだ声が参道に響く。

そんな参拝客目当ての露店が参道の両脇にいくつか並んでいて、不謹慎だと思うけれど私も何だかワクワクした気分になった。

    けれど、私の隣のこの人は。


「……もういいでしょ。そんなに意外だった?」


周囲の賑やかな様子には目もくれず、相変わらず私の着物姿を興味深げにじろじろと見ている。
まるで観察日記でもつけられてるみたい。


「あははは、ごめんごめん。つい、ね。着物なんて七五三以来だわ」
「まわりに着物をお召しになる方はいないの?」
「いないわねぇ。……ね、これって着付けはどうしたの?美容院とか?」
「ウチは母が出来るから。だから毎年お正月は着物が恒例なの」
「おー、これぞ日本の正月!」


ちょうど昨日の大晦日から私は県内にある実家に帰省中。
正月くらい顔を見せるよう両親から言われてしまった。
私としても本当はゆっくりしたい所だけれど、最後の追い込みのこの時期そうも言ってられず明日にはまた寮へ戻る。

この姿で彼女と会う事は少々照れ臭く思ったけど、せっかく元旦に早起きして着付けたのに午後になってすぐ解いてしまうのも勿体なくてそのまま出かけてきたのだ。


「あなたもお母さんから教えて貰ったりしてる?」
「ええ。でも、振袖は難しくて私一人じゃまだ無理ね」
「確かにこの帯結びとかどうなってるのか、私なんかじゃ皆目見当もつかないわ」
でも、やっぱ日本人は着物よね〜。


しきりに感心して指先で帯をつついたり、振袖の袖口を摘まんで引いたり。
理由は何であれ、彼女が触れる度鼓動は跳ねて体温は上がった。

や、やだ……私ったら……。

一人舞い上がっているのを見抜かれないように、慎重に会話する。


「なら、そうね。浴衣は?着てみたかったりする?」
「うん!浴衣も可愛くて好きよ……私、持ってないけど」
「じゃあ先の話になるけど、浴衣だったら私のでよければ着せてあげる」
「え?!貸してくれるの??うわっ、楽しみ!!」


私の提案にとても乗り気で喜んでくれている彼女を見て自分に少し嫌気がさす。
まだ今年も始まったばかりだというのに、もう夏の話題を持ち出すような事をして。
無意識の打算だった。

未来の約束を交わす事は私にとって重要で、同じ大学だとか同じ部活だとか夢物語のような不確かな約束でも構わない。
私とこの人が同じ未来に居ると思えるのならそれでいい。

一度、まるで夢みたいに鮮やかに私の前から消えた人。
二人の距離が少しずつ近づけば近づく程、夢の中の出来事のようで彼女を遠く感じてしまう矛盾。

    私の中での竹井久は未だ儚く、隣を歩いているこの瞬間も私は必死だった。


「美穂子の家の方で夏祭りとかある?それに合わせてまたこっちに来るから」
「本当に小さいお祭りよ?それなら八月ね」
「十分よ、目的は浴衣だもん。おっけ、八月ね。叔父さんに言っておこうっと」


偶然にも彼女の親戚が私の実家と一駅分しか離れていないと知ったのは、ついさっきの事。
午前中に新年の挨拶メールをやりとりしていたら、それが発覚した。

元旦は実家で過ごす私。
毎年元旦にその親戚のお宅に挨拶に伺うという彼女。

出来すぎた偶然に驚く私を更に嘘みたいに彼女は初詣へと誘ってくれた。


「そう、それ」
「ん?どれ?」
「今日は親戚の方に挨拶だったんでしょう?良かったの、勝手に出てきちゃって」
「あはは。だって、毎年の事だしね。挨拶なんて一緒におせち囲めば終わりよ。することなくて暇だから、美穂子が付き合ってくれてラッキーだったわ。あなたこそ、正月早々呼びだされて迷惑じゃなかった?」
「いいえ!そんなこと!」


言葉尻にほんの少し弱気を滲ませた問いかけを、私は強く否定する。


「そ?良かった」


流すような軽い口調だったけれど、その後に小さな小さな溜息を吐いたのを私は見逃さなかった。
彼女がまだ私との距離を測りかねている証拠。

大胆な勝負師であると同時に、時折そんなとても繊細な面を垣間見せる。
そんな彼女に私は惹かれてやまない。




「あら〜、予想外に混み合っていらっしゃる」
「並んでるわね……」


本殿に辿り着いたものの、賽銭箱付近には人が集まっていて落ち着いてお参りをするのは難しそうだ。
少しの間様子を観察してみたが、一人一人が熱心に思った以上に時間をかけてお参りしている為、回転率が非常に悪い。


「苦しい時の神頼みってか。何だか私たちくらいの年齢が目立つわね」
「ここ、学業の神様だもの。……鈴を鳴らさなくても良ければ脇の方からお参り出来そうだけど?」
「ダメよ〜、そんなの。神様だって誰かのついで程度にしか思ってくれなさそうじゃない。せっかくお賽銭奮発するのに!」
「そ、そうかしら。じゃあ、並ぶ?」


既に手に握っていたのか、ポケットから出した五百円玉をキラリと光らせた彼女の勢いに押された形で、私は人混みへ向けて一歩踏み出す。
すると、腕を自分に寄せるように引き戻されて、私はバランスを崩したのと彼女に接近したのと、二つの理由で短い悲鳴をあげてしまった。


「久?いきなりどうしたの……」
「ああ、ごめんなさい。待つんなら、アレやりましょうアレ!」


彼女がひと際テンションを上げて指さす方へ振り向くと、定番とも言えるおみくじ売場がある。


「おみくじってお参りの後に引くものだと思うのだけど」
「まー、固い事言わない。とりあえず運試し!ね?!」
「まるで子供ね……」


それぞれおみくじを一つ引いてから、参拝の列に並んだ。
早速、畳んである小さな紙を丁寧に開いていくと……。


「吉、だわ」
「私、小吉〜。あちゃー、一番中途半端でつまんないの引いちゃった。もう」
「つまらないって……罰が当たりそうね。凶だったら嫌でしょう」
「凶なら凶で話のネタになるし、面白いじゃない」


なるほど。
彼女にとってはまさに単なる運試しで、今年の運勢を占うなんて思いはまったくないようだ。


「あなた、本当は神様とかあまり信じてないタイプ?」
「そんなことないわよ。このダウンだって風水的に勝負運が上がるっていうから、赤いの買ったんだから」
「勝負運……?そこは学力向上じゃないかしら」
「いやいや。受験なんて勝負よ、勝負。最後は引きでしょ!」
「……そうね。引き勝負なら負けられないわね」


片目を瞑って楽しげに断言する彼女を見ていたら、私もついつられてしまった。
でも、決して不愉快には感じない。


「ようやく私たちの番ね〜。ほい、美穂子」


先にお賽銭を投げいれた彼女は鈴緒を片手で握り、そのまま私の元へ差し出して。


「い、一緒に鳴らすの??」
「ええ、混んでるし」
「そう、ね」

私が勝手に意識しすぎてしまっているだけで、後ろで待っている人たちもいる。

慌ててお賽銭を入れて彼女の手に触れない様に鈴緒を持って、二人で揺らす。
ガラン、ガラン、とお世辞にも美しいとは言い難い鈴の音が辺りに響いた。

それから二礼二拍手、チラリと横目で彼女の姿を捉えると、目を閉じて真剣に神様にお願いしている様子。
お賽銭、五百円分の元は取るというところだろうか。

ちなみに私のお賽銭は、金色に光る五円玉。
金額が低いのは別にもったいない、なんて思ったわけじゃなく。
"五円"と"ご縁"を掛けた言葉遊びから。

ご縁のその相手はもちろん    


『もう二度と、私の前からいなくなったりしませんように』


手を合わせている間、神様ではなくほんの数十センチ隣にいる人に願い続けてしまった私は、彼女より余程罰当たりな人間かもしれない。



   完


おみくじは私はほとんど吉とか末吉とかの可もなく不可もなくな人です。
“去年は凶で今年も凶、しかも結ぼうと思って折ったらやぶけた”と語る後輩を羨ましく思ってしまった(笑)。




 




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