心の準備が出来ていなかったので、私は視線をあたふたとお母さんとフェイトちゃんの間で行ったり来たりさせつつ、言葉を探す。


「何だか、さっきヘンな声が聞こえたけど、どうしたの?」
「え?」


どうしたもこうしたも。
私は、目前でベッドに腰掛けているフェイトちゃんを指差しながら。


「あのね、朝起きたら……いきなり私の部屋に黒い……」


服を来た女の人が、と続けようとしたのだけれど、お母さんは私の言葉を全部聞いてくれなかった。


「ああ、ゴキブリ?やぁね。お父さんに後で取ってもらわなくちゃ」


心底嫌そうな顔をしているお母さんは、まるでフェイトちゃんのことが見えてないかのよう。

……いや、本当に見えてない……?


「ほら、なのは。新学期早々、遅刻なんてダメよ。早く用意しちゃいなさい」
「……はい」


パタン。

お母さんは、何事もなかったように部屋を出て行った。


「お母さん、フェイトちゃんのこと、見えないんだね」


触れられないだけでなく、誰でも見えるわけではないことまで判明して、さきほどのフェイトちゃんの言葉が更に真実味を増す。
その本人はといえば……非常に情けない顔をしてガックリと肩を落としていた。


「……ゴ、ゴキブリ……」


ああ、ゴキブリに間違えられたのが相当ショックだったんだね。

慰めようと肩を叩こうと手を挙げたところで、思い直す。
触れられない、というのは、意外に不便かもしれない。


「ごめんね、フェイトちゃん。聞きたいこととかいっぱいあるんだけど、今時間ないの」
「……あ、うん」
「もし、まだここにいたいんだったらいてくれて構わないから、私、学校行って来るね」


初対面で、しかも本当に幽霊みたいだけど。
悪い人じゃなさそう……というより、逆に困っているなら手を貸してあげたくなるような雰囲気の持ち主に、そう声をかけると、私は急いで支度を始める。



歯を磨いて、顔を洗って、髪を整えて……。

チラッと肩越しに後ろを確かめると、所在なげにフェイトちゃんがいた。
朝食の時にも、リビングルームの壁際に立って私たちのことを興味深そうに眺めていたけれど、お母さん以外の家族も、誰一人としてフェイトちゃんの存在に気づく人はいなかった。
ほんの数回、小声ながらフェイトちゃんと会話を交わした時の様子から、姿だけではなく、声も私以外の人には聞こえないらしい。


「いってきまーす」


背中に、気をつけてね、というお母さんの声を受けながら、最寄の駅まで歩く。
駅からは学校に向かう通学バスをいつも利用している。


「それで……」


私は横目で隣を歩くフェイトちゃんをチラチラ見ながら、小声で話しかける。
朝のこの時間帯、通勤、通学のために周囲に人はいるけれど、やはりフェイトちゃんに目を留める人はいないみたい。


「どこまで一緒に来るつもりなのかな?」


私の問いかけに、やや目を丸くして暫く考えてから。


「あぁ、そういえば、私まだ、キミに言ってなかったっけ」
「??」
「どうやら私、せいぜい五メートル程度しか離れられないみたいなの」
「は?」
「それ以上はどうやっても先に進めないし、例えば、今ここで私だけが足を止めたとしても、自分の意思とは関係なくキミに引っ張られてしまうんだ」
「あ、お散歩してる犬のリードみたいな感じ?」
「…………違う、とは言わないけど。さっきから、ゴキブリとか犬とか結構ひどいよね……」


あらら。
またガックリと肩を落としちゃった。


「ねぇ、素朴な疑問なんだけど、いつまでこの状態が続くの?」


いくらイヤな人ではないといっても、四六時中、二十四時間そばにいられるというのは非常に落ち着かないもので。
私が気づかないっていうならともかく、こうして見たり話したり出来てしまうこの状態でそうなるのは、流石にね。


「さあ。私にもさっぱり」
「ええ?!そんなぁ!」


肩をすくめてお手上げのポーズをするフェイトちゃんに、私は思わず声を上げてしまって。

……いけない。

慌てて口元を手で押さえる。
駅に近づいて周囲の人の数も増え、何人か私の方を振り返っていた。
確かに、傍から見たら、私が一人でボソボソ喋っているようにしか見えないわけで。


「ごめんね。人が多いところでは私は話さないようにするね」
「うん、そうだね。……あ、ひとつ確認させて?」
「なぁに?」
「キミの名前……さっき、家族に呼ばれてたけど、キミも"ナノハ"って言うんだ?」


……キミ『も』?
それに、若干イントネーションが違う気もする。

それを訂正する意味も込めて、私は名乗る。


「うん。私は、なのは。高町なのはだよ」
「ナノハ」
「んーと、なのは」
「なの……は……?」
「うん!」
「なの……。なの……は。……なのは」


胸に手を当てて、とても大切なものを与えられたかのように、何度か私の名前を繰り返すフェイトちゃんに。

私は訳もなく、胸の高鳴りと切なさを覚える。




後から思えば、それにはちゃんと訳があったのだけれど。

このフェイトちゃんとの特異な出会いが、私にとってどんな意味を持つのか。



私はこれから知っていくことになる。




   





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